雑記帳
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なぜ日本から「学歴主義」が消えないのか
日本の学歴社会の歴史をみてみます。
日本における最初の大学である東大(当時の名称は「帝国大学」で、京都に帝国大学がつくられたことで「東京帝国大学」と名称が変わりました)、それに続いた京大以下の各帝国大学、さらに私立大学の先駆け的存在であった慶応、早稲田などの卒業生が、いわゆる「学士様」として世間一般に崇められたことが、日本の学歴社会の始まりでした。
1970年代までは一部大手企業の新卒採用において、企業側がこれらの大学に推薦を依頼し、推薦を受けた学生しか選考に参加させない「指定校制度」というものが存在しました。
指定校制度は、学生紛争などを経て大学の姿勢が変化したことや、大学数と学生数の急増により批判が高まってきたこともあって、一応、表向きは姿を消すことになります。
しかし、時同じくして1970年代に「偏差値」で大学の入学試験の難易度を測ることが一般的になり、指定校制度は偏差値至上主義に形を変え、新卒採用における序列的な価値観を確立します。
ちなみに、私が大学を卒業して司法研修所に入ったのが1978年(昭和53年)のことで、大学4年銭のときは、企業から面接を受けに来ませんかという郵便物の案内は、結構な量ありました。積めば背丈ほどに高くなると言うのは大げさですが、50cmくらいになるほど面接の案内がきました。
1980年代は全般的に好景気に後押しされた売り手市場が長く続いたことで、新卒者が採用からあぶれることも少なく、新卒採用において学歴偏重の是非が大きく問われることはありませんでした。
1990年代に入ると、バブル経済期が終わり、長い低成長の時代に入りました。
採用市場はそれまでの売り手市場から一気に買い手市場に転じます。
ここでようやく、実質的な学歴偏重主義を貫く大手企業の新卒採用姿勢に、疑問の目が向けられるようになってきたのです。
ちなみに、私が裁判官を退官して弁護士になったのが、1990年(平成2年)で、2、3年はバブル期が続いていました。弁護士業界も、不動産取引に1回立会うと200万円などというみともありました。
そして、バブルがはじけた後、現在に至ります。
大手企業はどこも採用方針に「人物重視」を前面に掲げていました。
しかし、学歴の記載のない履歴書により採用するという企業は、ごく希でした。
「人物重視」をうたっていながら、ほとんどの企業は学歴情報のない採用には自信が持てなかったということになります。
また、高度成長期からバブル期における大量採用の時代に学歴重視の採用を続けてきた経験から、高偏差値大学の出身者はおしなべて「はずれ」が少なかったということが、手数が少ない学歴偏重採用を続けてきた大きな理由になっているように思われます。
その結果、大手の一流企業と呼ばれるところに多く卒業生が就職する大学、言い換えれば一流企業から採用したいと思われる大学のブランド価値が高まり、大学のヒエラルヒーが確立されたということになります。
終身雇用を前提とした就活の時代には、確かに好待遇の大手企業に就職すれば一生安泰でそれなりの生活が保障されるという考え方が主流で、出身大学の偏差値の高さは生涯収入とリンクしていました。
ただ、終身雇用、年功序列が雇用の常識ではなくなってきた場合、転職の活性化や独立、起業の活発化によって社会の実力主義化は徐々に浸透していくことになるでしょう。
高学歴が、必ずしも経済的上流階級を保証するものではなくなっていく可能性がでてくることになるでしょう。
確かに、日本の大学は、入学は難しくても卒業することは簡単ですから、22歳の卒業時ではなく、18歳時点の筆記試験の結果が、学歴差に結びつきやすくなります。
ただ、大企業の人事担当者もサラリーマンですから、自己の保身をはかります。
高学歴者を採用しておけば、たとえ「はずれ」であっても、大企業の人事担当者は、高学歴者を採用したと言い訳することが可能ですが、低学歴者を採用した場合、「はずれ」の場合は、どこに目をつけているのかと、自分の責任問題になりかねません。
学歴主義はなくならないでしょうね。
日本における最初の大学である東大(当時の名称は「帝国大学」で、京都に帝国大学がつくられたことで「東京帝国大学」と名称が変わりました)、それに続いた京大以下の各帝国大学、さらに私立大学の先駆け的存在であった慶応、早稲田などの卒業生が、いわゆる「学士様」として世間一般に崇められたことが、日本の学歴社会の始まりでした。
1970年代までは一部大手企業の新卒採用において、企業側がこれらの大学に推薦を依頼し、推薦を受けた学生しか選考に参加させない「指定校制度」というものが存在しました。
指定校制度は、学生紛争などを経て大学の姿勢が変化したことや、大学数と学生数の急増により批判が高まってきたこともあって、一応、表向きは姿を消すことになります。
しかし、時同じくして1970年代に「偏差値」で大学の入学試験の難易度を測ることが一般的になり、指定校制度は偏差値至上主義に形を変え、新卒採用における序列的な価値観を確立します。
ちなみに、私が大学を卒業して司法研修所に入ったのが1978年(昭和53年)のことで、大学4年銭のときは、企業から面接を受けに来ませんかという郵便物の案内は、結構な量ありました。積めば背丈ほどに高くなると言うのは大げさですが、50cmくらいになるほど面接の案内がきました。
1980年代は全般的に好景気に後押しされた売り手市場が長く続いたことで、新卒者が採用からあぶれることも少なく、新卒採用において学歴偏重の是非が大きく問われることはありませんでした。
1990年代に入ると、バブル経済期が終わり、長い低成長の時代に入りました。
採用市場はそれまでの売り手市場から一気に買い手市場に転じます。
ここでようやく、実質的な学歴偏重主義を貫く大手企業の新卒採用姿勢に、疑問の目が向けられるようになってきたのです。
ちなみに、私が裁判官を退官して弁護士になったのが、1990年(平成2年)で、2、3年はバブル期が続いていました。弁護士業界も、不動産取引に1回立会うと200万円などというみともありました。
そして、バブルがはじけた後、現在に至ります。
大手企業はどこも採用方針に「人物重視」を前面に掲げていました。
しかし、学歴の記載のない履歴書により採用するという企業は、ごく希でした。
「人物重視」をうたっていながら、ほとんどの企業は学歴情報のない採用には自信が持てなかったということになります。
また、高度成長期からバブル期における大量採用の時代に学歴重視の採用を続けてきた経験から、高偏差値大学の出身者はおしなべて「はずれ」が少なかったということが、手数が少ない学歴偏重採用を続けてきた大きな理由になっているように思われます。
その結果、大手の一流企業と呼ばれるところに多く卒業生が就職する大学、言い換えれば一流企業から採用したいと思われる大学のブランド価値が高まり、大学のヒエラルヒーが確立されたということになります。
終身雇用を前提とした就活の時代には、確かに好待遇の大手企業に就職すれば一生安泰でそれなりの生活が保障されるという考え方が主流で、出身大学の偏差値の高さは生涯収入とリンクしていました。
ただ、終身雇用、年功序列が雇用の常識ではなくなってきた場合、転職の活性化や独立、起業の活発化によって社会の実力主義化は徐々に浸透していくことになるでしょう。
高学歴が、必ずしも経済的上流階級を保証するものではなくなっていく可能性がでてくることになるでしょう。
確かに、日本の大学は、入学は難しくても卒業することは簡単ですから、22歳の卒業時ではなく、18歳時点の筆記試験の結果が、学歴差に結びつきやすくなります。
ただ、大企業の人事担当者もサラリーマンですから、自己の保身をはかります。
高学歴者を採用しておけば、たとえ「はずれ」であっても、大企業の人事担当者は、高学歴者を採用したと言い訳することが可能ですが、低学歴者を採用した場合、「はずれ」の場合は、どこに目をつけているのかと、自分の責任問題になりかねません。
学歴主義はなくならないでしょうね。