雑記帳
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台湾総統 なぜ中国はロシア占領の土地を取り戻さない
台湾の頼清徳総統は、令和6年9月、「領土回復」を旗印に台湾統一を掲げる中国が、帝政ロシアに占領された土地は取り戻そうとしていないとして中国側の「ダブルスタンダード」を指摘しました。
台湾の頼総統は、中国が台湾を併呑しようとしているのは領土保全のためではない。もしそうなら、なぜ愛琿条約でロシアに占有された土地を取り戻さないのか、中国は世界秩序を改変し自らの覇権を実現しようとしていると訴えました。
アメリカやヨーロッパに対抗するため戦略的な協力を深めている中国とロシアにとって、領土紛争の歴史はデリケートな問題です。
帝政ロシアは、清朝が第二次アヘン戦争で英仏に敗北を重ねたのに乗じ、1858年の愛琿条約でアムール川以北の60万平方キロ余りを割譲させ、1858年の北京条約ではウスリー川以東の40万平方キロ超を得ました。
現在も中国ではロシアから領土を「不法に奪われた」との認識が一般的です。
外満州
中国は「いいたい放題」領土の主張をするというイメージがあります。
中国人は「清」の領土を継承していると思っているようです。つまり、中国人は、「清の領土は全て、漢民族の領土」という理屈ですね。
さすがに、ロシアを含む東ヨーロッパまで版図のおよんだ「元」の時代の領土まで要求はしていません。
ただ「清の領土は全て、漢民族の領土」という主張には、例外があります。
外満州(がいまんしゅう)です。
満州は、内満州(単に「満州」ともいいます)と外満州に分かれます。
内満州が中国東北部(赤色)、外満州がロシア沿海州(ピンク色)に該当します。
最初から内満州と外満州に別れていたわけではなく、内満州が中国領、外満州がロシア領ということです。
満州民族は、満洲に発祥したツングース系民族で、古くは女真族といいました。
「清」は満州民族(女真族)の征服王朝です。
東方進出を進めるロシアと清は、満州の領土について争いました。
清に力があった1689年のネルチンスク条約で、ロシアと清の間には国境が画定され、外満州は清の領土となりロシアは排除されました。
ロシアは、不凍港を獲得し、太平洋への出口を求めて日本海沿岸への進出を図るようになりました。
1840年から2年間にわたった阿片戦争により、「眠れる獅子」といわれた清が、実は「張り子の虎」であることがわかってしまいました。
ロシアと清の間の1858年のアイグン条約でアムール川より北側が、1860年のロシアと清の間北京条約でウスリー川より東が、清からロシアに割譲され、外満州はすべてロシア領となりました。
ロシアは、念願の不凍港ウラジオストックを得ました。
逆に、清は、日本海側の出口を失いました。内満州は、北朝鮮が海への道をふさいでいます。
現在も、中国は、日本海側に港をもっていません。
中国が「帝国主義時代にとられた領土の回復」というなら、面積からしても、ロシアの領土となっている外満州が「第一候補」のはずでしょう。
中国は、ロシアと珍宝島(ダマンスキー島)の管轄をめぐって多くの死者を出す武力衝突をしていますが、1991年、中ソ国境協定が結ばれ、外満州の大部分に関して国境線が定まり、1994年、中ロ国境協定により中央アジア部分に関する中ロ国境協定が結ばれていています。
強いと見た相手とは、本格的戦争をする「度胸」はないのでしょう。
頼総統の発言に中国側は口をつぐんでいます。
愛琿条約などによってロシアに割譲された領土の多くが取り戻せていないことに中国内の愛国主義者は不満を抱いています。
ネット上には「ウクライナ戦争で弱ったロシアから領土を取り戻せ」といった声もあり、中国当局は反露感情に火がつくことを警戒しているとみられています。
台湾の頼総統は、中国が台湾を併呑しようとしているのは領土保全のためではない。もしそうなら、なぜ愛琿条約でロシアに占有された土地を取り戻さないのか、中国は世界秩序を改変し自らの覇権を実現しようとしていると訴えました。
アメリカやヨーロッパに対抗するため戦略的な協力を深めている中国とロシアにとって、領土紛争の歴史はデリケートな問題です。
帝政ロシアは、清朝が第二次アヘン戦争で英仏に敗北を重ねたのに乗じ、1858年の愛琿条約でアムール川以北の60万平方キロ余りを割譲させ、1858年の北京条約ではウスリー川以東の40万平方キロ超を得ました。
現在も中国ではロシアから領土を「不法に奪われた」との認識が一般的です。
外満州
中国は「いいたい放題」領土の主張をするというイメージがあります。
中国人は「清」の領土を継承していると思っているようです。つまり、中国人は、「清の領土は全て、漢民族の領土」という理屈ですね。
さすがに、ロシアを含む東ヨーロッパまで版図のおよんだ「元」の時代の領土まで要求はしていません。
ただ「清の領土は全て、漢民族の領土」という主張には、例外があります。
外満州(がいまんしゅう)です。
満州は、内満州(単に「満州」ともいいます)と外満州に分かれます。
内満州が中国東北部(赤色)、外満州がロシア沿海州(ピンク色)に該当します。
最初から内満州と外満州に別れていたわけではなく、内満州が中国領、外満州がロシア領ということです。
満州民族は、満洲に発祥したツングース系民族で、古くは女真族といいました。
「清」は満州民族(女真族)の征服王朝です。
東方進出を進めるロシアと清は、満州の領土について争いました。
清に力があった1689年のネルチンスク条約で、ロシアと清の間には国境が画定され、外満州は清の領土となりロシアは排除されました。
ロシアは、不凍港を獲得し、太平洋への出口を求めて日本海沿岸への進出を図るようになりました。
1840年から2年間にわたった阿片戦争により、「眠れる獅子」といわれた清が、実は「張り子の虎」であることがわかってしまいました。
ロシアと清の間の1858年のアイグン条約でアムール川より北側が、1860年のロシアと清の間北京条約でウスリー川より東が、清からロシアに割譲され、外満州はすべてロシア領となりました。
ロシアは、念願の不凍港ウラジオストックを得ました。
逆に、清は、日本海側の出口を失いました。内満州は、北朝鮮が海への道をふさいでいます。
現在も、中国は、日本海側に港をもっていません。
中国が「帝国主義時代にとられた領土の回復」というなら、面積からしても、ロシアの領土となっている外満州が「第一候補」のはずでしょう。
中国は、ロシアと珍宝島(ダマンスキー島)の管轄をめぐって多くの死者を出す武力衝突をしていますが、1991年、中ソ国境協定が結ばれ、外満州の大部分に関して国境線が定まり、1994年、中ロ国境協定により中央アジア部分に関する中ロ国境協定が結ばれていています。
強いと見た相手とは、本格的戦争をする「度胸」はないのでしょう。
頼総統の発言に中国側は口をつぐんでいます。
愛琿条約などによってロシアに割譲された領土の多くが取り戻せていないことに中国内の愛国主義者は不満を抱いています。
ネット上には「ウクライナ戦争で弱ったロシアから領土を取り戻せ」といった声もあり、中国当局は反露感情に火がつくことを警戒しているとみられています。