雑記帳
雑記帳
カリーニングラード
欧州連合(EU)の制裁の一環として、リトアニアが自国経由でロシアのカリーニングラード地方へ向かう物資の一部輸送を禁止したことから、ロシアが強く反発しています。
カリーニングラードはロシアの重要な軍事拠点ですが、NATO加盟国のポーランドとリトアニアに挟まれた飛び地です。
制裁の報復として、カリーニングラードへのの線路続いているスヴァウキ回廊をロシアが親ロシアのベラルーシとともに攻撃するのではないかと懸念されています。
また、ロシアは、親ロシアのベラルーシに核弾頭搭載可能なミサイルの供与を予定しています。
バルト海沿岸で、ポーランドとロシアは隣接していたでしょうか。
バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)が中にはいっていますから「飛び地」ということになります。
現在カリーニングラード(Калининград)と呼ばれているケーニヒスベルク(Koenigsberg。「ケーニヒスベルクの橋渡りの問題」で有名です)を含む東プロイセン地方は、1225年にドイツ騎士団によって建設されたドイツ系の領土で、その後、プロイセン公国となり、そのころからポーランドをはさんだ飛び地でした。
ドイツ帝国が形成され、ソ連、ドイツ、オーストリアによってポーランドが分割されると、プロイセン公国はドイツ帝国の飛び地ではなくなりました。
第一次世界大戦後、旧ドイツ帝国の東部領土について、ポーランド北部のバルト海に面した地域にあたる旧プロイセン公国の領域のうち、国際連盟下の自由都市として残されたダンツィヒDanzig。現・グダニスク=Gdansk)を除いた、「西プロイセン」は、ポーランドの海への出口としてポーランドに割譲されたため、ケーニヒスベルクを州都とする「東プロイセン」は、ドイツ本国との陸上路が閉ざされ、孤立した飛び地となりました。
その後、ヒトラー率いるドイツはポーランドに侵攻し、これにより第二次世界大戦が始まりましたが、東プロイセンは再びドイツ本土と陸路で結ばれることになりました。
東プロイセンは、第二次世界大戦戦、南北に分割され、自由都市ダンツィヒDanzig(グダニスク・Gdansk)はポーランド領に、ケーニヒスベルクを州都とする北部はソ連のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に編入されました。ソ連領となった区域を、ソ連のロシア共和国領のカリーニングラード州と呼ばれるようになりました。ケーニヒスベルクはカリーニングラードに名前が変わり、カリーニングラード州の州都となりました。
バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)は、第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書によって1940年にソビエト連邦に併合されていましたから、カリーニングラード州は、ソ連という点からは飛び地ではなくなり、ソ連のロシア共和国という点からすると飛び地となりました。
1990年8月20日、バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)はソ連から独立し、まもなくソ連も崩壊しました。
そうなると、カリーニングラード州は、完全にロシア共和国の飛び地となりました。
カリーニングラード州は、ポーランドとバルト三国にはさまれた、完全な飛び地です。
そして、ロシアは、このカリーニングラード州に新型ミサイルと、米国のMD施設をかく乱するための妨害電波装置を設置しています。
ややこしいですね。
これほど、歴史に翻弄され、飛び地になったり飛び地ではなくなったりした地域も珍しいと思います。
現在、ドイツの面積は、日本にも及ばないほど小さくなりました。
東プロイセンだけではなく、東側の領土をずいぶんポーランドに割譲させられましたから。
ドイツは、ロシアやポーランドに領土を返還請求はしていません。
ところで、あちらこちらの外国に行きあきた海外旅行客に人気があるのが、バルト三国だそうです。
しかし、安全保障の観点からすると、バルト三国は、ロシアにはさまれていますから、ロシアがその気になれば、戦車で挟撃ちして1日で占領できることになります。
なお、カリーニングラードは日本人旅行者の行けるところではありません。
カリーニングラードはロシアの重要な軍事拠点ですが、NATO加盟国のポーランドとリトアニアに挟まれた飛び地です。
制裁の報復として、カリーニングラードへのの線路続いているスヴァウキ回廊をロシアが親ロシアのベラルーシとともに攻撃するのではないかと懸念されています。
また、ロシアは、親ロシアのベラルーシに核弾頭搭載可能なミサイルの供与を予定しています。
バルト海沿岸で、ポーランドとロシアは隣接していたでしょうか。
バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)が中にはいっていますから「飛び地」ということになります。
現在カリーニングラード(Калининград)と呼ばれているケーニヒスベルク(Koenigsberg。「ケーニヒスベルクの橋渡りの問題」で有名です)を含む東プロイセン地方は、1225年にドイツ騎士団によって建設されたドイツ系の領土で、その後、プロイセン公国となり、そのころからポーランドをはさんだ飛び地でした。
ドイツ帝国が形成され、ソ連、ドイツ、オーストリアによってポーランドが分割されると、プロイセン公国はドイツ帝国の飛び地ではなくなりました。
第一次世界大戦後、旧ドイツ帝国の東部領土について、ポーランド北部のバルト海に面した地域にあたる旧プロイセン公国の領域のうち、国際連盟下の自由都市として残されたダンツィヒDanzig。現・グダニスク=Gdansk)を除いた、「西プロイセン」は、ポーランドの海への出口としてポーランドに割譲されたため、ケーニヒスベルクを州都とする「東プロイセン」は、ドイツ本国との陸上路が閉ざされ、孤立した飛び地となりました。
その後、ヒトラー率いるドイツはポーランドに侵攻し、これにより第二次世界大戦が始まりましたが、東プロイセンは再びドイツ本土と陸路で結ばれることになりました。
東プロイセンは、第二次世界大戦戦、南北に分割され、自由都市ダンツィヒDanzig(グダニスク・Gdansk)はポーランド領に、ケーニヒスベルクを州都とする北部はソ連のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に編入されました。ソ連領となった区域を、ソ連のロシア共和国領のカリーニングラード州と呼ばれるようになりました。ケーニヒスベルクはカリーニングラードに名前が変わり、カリーニングラード州の州都となりました。
バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)は、第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書によって1940年にソビエト連邦に併合されていましたから、カリーニングラード州は、ソ連という点からは飛び地ではなくなり、ソ連のロシア共和国という点からすると飛び地となりました。
1990年8月20日、バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)はソ連から独立し、まもなくソ連も崩壊しました。
そうなると、カリーニングラード州は、完全にロシア共和国の飛び地となりました。
カリーニングラード州は、ポーランドとバルト三国にはさまれた、完全な飛び地です。
そして、ロシアは、このカリーニングラード州に新型ミサイルと、米国のMD施設をかく乱するための妨害電波装置を設置しています。
ややこしいですね。
これほど、歴史に翻弄され、飛び地になったり飛び地ではなくなったりした地域も珍しいと思います。
現在、ドイツの面積は、日本にも及ばないほど小さくなりました。
東プロイセンだけではなく、東側の領土をずいぶんポーランドに割譲させられましたから。
ドイツは、ロシアやポーランドに領土を返還請求はしていません。
ところで、あちらこちらの外国に行きあきた海外旅行客に人気があるのが、バルト三国だそうです。
しかし、安全保障の観点からすると、バルト三国は、ロシアにはさまれていますから、ロシアがその気になれば、戦車で挟撃ちして1日で占領できることになります。
なお、カリーニングラードは日本人旅行者の行けるところではありません。