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雑記帳

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朝鮮通信使

 四天王時ワッソが、例年11月にに開催されています。
 四天王寺ワッソとは、大阪市の史跡である難波宮跡公園にて開催される祭りです。

 朝鮮通信使の来訪を再現した祭りと考えていただければよいでしょう。
 「ワッソ」とは現代の韓国語で「来た」を意味します。

 朝鮮通信使とは、朝鮮国王から遣わされた使者のことで、広い意味では、室町時代から江戸時代にかけて日本を訪問した使者すべてを指し、狭い意味では、豊臣秀吉による文禄・慶長の役ののち、つまり、李氏朝鮮が、江戸時代に日本を訪問した使者を指します。
 狭い意味での朝鮮通信使(江戸時代)は、文禄・慶長の役で朝鮮から日本へ渡った技術者の帰国目的の通信使が起源となっています。
 もっとも、日本は技術者によい待遇で接しますが、当時の朝鮮(今の韓国も、技術者軽視傾向にあります)は技術者の待遇が悪いため、日本から朝鮮に戻ろうとする人は限られていたそうです。
 その後、将軍の代替わりの奉祝の命を帯びた通信使というものに変化していきました。
 大名の参勤交代は、行列を横切ると無礼討ちがゆるされた時代ですが、朝鮮通信使は、上の絵画のとおり、ある意味「見せ物」扱いだったようです。

 モデル・ルートとしては、往路は、ソウル(漢城)・出発→釜山→対馬・厳原→壱岐→下関→(瀬戸内海)→大阪→京都→彦根→名古屋→浜松→三島→小田原→藤沢→東京(江戸)・到着で、復路は、逆コースです。

 金仁謙という書記がしるした「日東壮遊歌」(1763年から1764年)が、当時の様子をあらわしています。
 「書記」とは日本滞在中に詩文をもって通信使のもとへやってくる日本人に詩で対応する職務でした。
 金仁謙は、大坂、京都、江戸の絢爛豪華さをうらやむとともに、「この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである」「この犬にも等しい輩を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ」と記載されています。
 考え方が、全く進歩せず、今も昔も変わらないということですね。

 古今東西、国家の繁栄は、文明・産業・民度によります。オイルマネーの国々は例外でしたが・・
 文禄・慶長の役の戦いの経緯はご存じのとおり、その後も、日本が栄え、朝鮮が貧しかった理由は上記のとおりです。
 なお、李氏朝鮮は、前王朝である高麗の国教であった仏教を排し、朱子学を唯一の学問(官学)としていましたから、朝鮮通信使に朱子学を学ぼうとした日本の朱子学者もいました。朱子学が日本にとって、有益だったか、有害だったか、どうでもよかったかは、わかりません。
 オランダ経由で西洋文明を学んでいた日本と、朱子学を唯一の学問としていた李氏朝鮮が、日本流にいえば、幕末から明治初期にかけて、どのような道をたどったかについては、歴史が示すところです。
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