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雑記帳

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中国 天安門事件35年

 平成元年(1989年)6月4日、首都・北京で民主化を求める学生らの運動が武力で鎮圧され、大勢の死傷者が出た天安門事件から、35年の節目の年を迎えます。

 民主化を求めて北京の天安門広場やその周辺に集まっていた学生や市民に対して軍が発砲するなどして鎮圧し、中国政府の発表では319人が死亡したとされていますが、犠牲者の数ははるかに多いという指摘もあります。
 一般的には、装甲車が学生をひき殺す写真が有名ですが、多くの死者は広場の外で発生しましたし、共産党軍は、学生を含め、誰かれとなく銃を乱射したので、何百人単位ですむはずはありません。
 現地に駐在していたイギリスの外交官は、殺された人の数は、約1万人と書残しています。

 抗議活動は平成元年4月から、学生たちが政治的・経済的自由を求めて、広場を占拠したことから始まりました。しかし、学生たちと政府の交渉は不調に終わり、平成元年6月4日、中国共産党は戦車や装甲車と兵士を広場に送り込みました。
 兵士たちは集まった学生たちに発砲、集まった学生だけでも数百名が死亡しました。

 中国は事件を歴史から葬り去ろうとしています。
 もちろん、学校で教えられていません。
 中国では、事件に関するキーワードの検索も禁止しています。

 国の指導者であった鄧小平氏は平成元年6月9日、初めて現地を訪れ、軍の働きを称賛し、学生たちを共産主義を倒そうとする反逆者と位置づけました。

 中国の蛮行は、以下の記事の写真や文章を読んでいただければ、一端を知ることができます。
 中国とは、そのような国であることを、十分知っておく必要があります。

 Business Insider
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