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雑記帳

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縄文人

 現代の日本人は、1万6000年前から日本列島にいた縄文人と、約3000年前以降に大陸から移住した渡来人とによって、形成されたと考えられていました。

 つまり、従前は、主に東南アジアからやってきた縄文人に、弥生時代(紀元前10世紀から紀元前3世紀中頃)以降に、北東アジアから渡来した集団が混血することで現在の日本人が形成されたという説が有力でした。

 現代人の遺伝子を調べた結果ですが、今までのいろいろな人類学の研究成果から、縄文人との混血の程度として、アイヌ人は高く、オキナワ人は中ぐらい、ヤマト人は低く、韓国人はほとんどゼロ、その他の東アジア人は全くゼロとのことでした。

 近年の遺伝子の調査の結果に寄りますと、古墳時代の日本人は、縄文系・北東アジア系・東アジア系の3系統の祖先によって構成され、構成としては、縄文系、北東アジア系(弥生時代に移入)、東アジア系(古墳時代に移入した)で、この多重構造が古墳時代に成立し、現代においても同様の構造が見えているという説が有力になっています。

 縄文時代の遺跡としては、北の北海道では、利尻島の遺跡の他、キウス周堤墓群(千歳市)、北黄金貝塚(伊達市)、入江・高砂貝塚(洞爺湖町)、大船遺跡(函館市)、垣ノ島遺跡(函館市)、南の沖縄では、渡具知東原遺跡(読谷村)、野国貝塚B点遺跡(嘉手納町)、薮地洞穴遺跡(与那城町)があります。
 もちろん、本州、四国、九州に縄文時代の遺跡があるのはご存知のとおりです。

 つまり、縄文人は、現在の日本国土全体に住んでいた、日本人の祖先ということがいえます。
 なお、北海道には弥生時代が無く、本州以南での弥生時代という年代は北海道では縄文時代の続き、続縄文時代になります。

 なお、アイヌ人はもともと北方の人で、紀元10世紀ころにカムチャッカ半島から千島列島を伝い北海道の根室近辺に上陸し、縄文系の人を駆逐し、混血していったという経緯です。
 縄文人との混血の程度として、アイヌ人は高いといえます。
 北海道には弥生時代がなく、弥生時代に移入した北東アジア系、古墳時代に移入した東アジア系との混血はないということになります。

 ということは、アイヌ人は、広い意味での原住民ではありますが、例えば、白人国家のうち、オーストラリアやニュージーランドのマオリやアボリジニなどの原住民とは異なります。
 オーストラリアのアボリジニ、オーストラリアやニュージーランドのマオリなどは、一方的に白人にしてやられています。

 これに対し、アイヌ人は、日本人のルーツである縄文人を駆逐し、混血していたものが、江戸時代ころから、逆に、縄文人の子孫であるヤマトの支配を受けるという流れですから、一方的にしてやられたわけではなく、駆逐し、混血していたはずの縄文人の子孫であるヤマトから、逆に、してやられることになったという経緯です。
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