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2020年バックナンバー

雑記帳

金官伽耶の古墳から大量の日本製矢尻発見

 令和2年6月10日、韓国の慶南金海大成洞古墳博物館は、博物館の北東側平地3700平方メートルに分布した古墳群(史跡・第341号)のうち、108号墳で日本製と推定される青銅矢尻30点余りが束で出土したと明らかにしました。
 
 博物館は、令和元年12月から、一帯の墓70余基に対する学術発掘調査を進め400点余りの遺物を発掘しました。
 
 今回発掘された青銅矢尻は108号墳の主人と推定される夫婦人骨の枕元に並んで置かれていました。
 
 紡錘車の形の石製品、勾玉などが共に埋蔵されていました。
 
 青銅矢尻は、紀元4世紀頃、日本の支配者階級の墓からだけ出土する遺物です。
 これまで、わずかずつ出土されたが、数十点が一度に発見されたのは今回が初めてだそうです。
 
 金官伽耶地区の古墳群は、前方後円墳が多く、前方後円墳には日本人(倭人)が埋葬されていると考えるのが素直です。
  日本人(倭人)の墓なら、勾玉や青銅矢尻が出土するのは当然です。
 
 韓国の公式見解は、韓国人の先祖が支配していて、日本人(倭人)の傭兵にすぎなかった、韓国人の祖先である支配層は、傭兵である日本人(倭人)の墓をつくることを許可したということです。
 
 ただ、支配層の墓が小さく、傭兵の墓が大きいというのは理屈に合いません。
 
 常識的には、金官伽耶は、昔、任那と呼ばれているところで、日本人(倭人)が支配している土地だと考えるのが普通ですね。
 
 私が小中学生の時、朝鮮半島の任那は日本人(倭人)が支配していて、任那には、日本府があったと習っていました。
 
 朝鮮半島の任那は日本人(倭人)が支配していたことは、日本がオリジナルの前方後円墳が朝鮮半島南部に多数あること、日本の前方後円墳から多数出土される、埴輪、ひすい製勾玉(ひすいは、当時、日本の糸魚川地方からしか産出されていません)や青銅矢尻などが出土することから、日本書紀の記載が正しいかと思われます。
 
 今は、そのように教えないのでしょうか。
 
 日本が、現在、金官伽耶=任那は日本の領土だと主張するはずもないのに、韓国が、頑なに否定するのはなぜでしょうか。
 
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