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2020年バックナンバー

雑記帳

和時計

 スイス旅行で、ラ・ショー=ド=フォンに行ったことがあります。
 
 平成15年ユネスコの産業遺産に登録されていて、世界最大規模の時計の博物館である国際時計博物館が有名です。
 
  タグ・ホイヤーなどが本社を置いています。
 
 国際時計博物館は、一見の価値があります。
 日時計、水時計から、現在までの時計の発展の歴史を伝えています。
 
 ドイツやフランスの時計はもちろんあるのですが、日本の和時計も多数展示されています。
 
  中国の時計は探したのですがなかったですね。
 
 和時計は、外枠に、子(九)、丑(八)、寅(七)、卯(六)、辰(五)、巳(四)、午(九)、未(八)、申(七)、酉(六)、戌(五)、亥(四)と記載されています。
 
 当時の日本の時刻は、他の国が、1日を24等分した定時法を原則としているのに対し、和時計は季節によって変化する昼と夜をそれぞ6等分した不定時法を前提としていました。
 
 昼の一刻と夜の一刻は、季節によって長さが反比例することになります。
 
 この場合「日の出」と「日の入り」が基準ではなく、日の出前の白々と夜が明ける「薄明」と、日が暮れて人の顔がよくわからなくなる「たそがれ」が基準でした。
 
 日の出の約30分前と、日の入りの約30分後が、昼と夜の境でした。
 
 日の出の30分前を「明け六つ」(卯)、日没の30分後を「暮れ六つ」(酉)とし、「明け六つ」から「暮れ六つ」(昼間)とその逆(夜間)をそれぞれ六等分したものを「一刻(いっとき)」と呼んでいました。
 
 「子」と「午」の刻には太鼓を9つ打つという習慣があったようです。
 
  続いて、丑の刻と未の刻には2倍して10の位を切り捨てた8つを打ちます。
 
  同様に、寅と申の刻には7つ、卯と酉の刻には6つ、辰と戌の刻には5つ、巳と亥の刻には4つ打ちます。
 
 9の倍数ですから、下一桁は、九、八、七、六、五、四となるわけです。
 
 文字表示からの必要性でなく、耳で聞いて時刻を数えるためですね。
 
 定時法の時計なら、どこの国でもある時計です。
 
 和時計は季節によって変化する昼と夜をそれぞ6等分した不定時法ですから、針の進む時間を変えなければなりません。
 
 西洋の時計をそのまま日本で使うのは難しい状況でした。
 西洋の時計が使えないなら、日本に合った時計を新しく作ればいいということですね。
 
 日本は、鉄砲伝来から十数年で種子島の量産体制が確立したような国ですから、不定時法時計=和時計も開発されました。
 
 毎日変えることは難しいので、15日に1度ずつ調整したそうです。
 
 西洋時計が入ってきた記録は、天文20年(1551年)にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上したとあり、制作年度がはっきりしている最古の和時計は、延宝元年(1673年)のものですから120年かかったことになります。
 
 寛政9年(1796年)に出版された「機巧図彙」という本には、和時計の内部構造が事細かに書かれているそうです。
 
 ラ・ショー=ド=フォンの国際時計博物館の和時計は、6つくらいあったと思います。
 
 すごいコレクションですね。
 
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