2020年バックナンバー
雑記帳
昭和52年の司法試験
私が受験して合格した司法試験は、昭和52年10月8日の司法試験です。
私は、大学4年生でした。
小松亀一さんという仙台弁護士会所属の弁護士さんのホームページに、昭和52年の司法試験に合格した際の新聞の画像がありました。
小松亀一さんは、私と同じ、司法修習32期のようですが、全く面識はありません。
受験人数2万9214人、合格者465人、合格率1.59でした。
合格率1.59%は、最初の年から現在まで、最も合格率が低かったようです。
合格者の平均年齢は27.74歳となっています。
修習終了時の平均は、27.74歳に、0.5年(合格から修習開始まで)+2年(司法修習期間)を足すと30.24歳で、裁判官、検察官、弁護士になっています。
死亡者がいないとすると、令和2年4月時点で、72歳が平均年齢となります。
現実には、やはり年長者からなくなっていますから、もっと若いでしょう。
一番若い合格者は21歳が、7人となっています。ちなみに、私は、8月生まれですから、22歳でした。ここには記載されていませんが、大学3年生での合格者はいなかった年だと思います。
合格発表が10月8日ちょうど年度半ばで、4月から9月生まれ6か月、10月から翌3月生まれ6か月の人数が同数と仮定すると、大学4年の合格者は14人と計算されます。
もっとも、司法の道に進んだ合格者は、4、5人だったでしょう。
他の10人は、行政官庁へいったり学者となっています。
学者2人、公務員1人は、よく知っています。
学者2人、公務員1人は、よく知っています。
その手の人は結構います。
東京大学卒業者は88人で最多です。
女性は33人だけだったようです(5.3%)。
平成29年の司法試験は20.1%です。
韓国籍の合格者は2人いたようですが、2人とも日本に帰化して司法修習生となっているようです。うち1人は存じています。
今は、韓国籍の合格者云々ということは話題にもなりません。
今は、韓国籍の合格者云々ということは話題にもなりません。
今見ると、難関だったのですね。
もろに、団塊の世代と競合したようです。