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2019年バックナンバー

雑記帳

二階幹事長留任

 令和元年9月の自民党役職者人事と内閣改造で、二階俊博幹事長が再任されました。
 
 令和元年8月3日で、幹事長として連続在職日数が1096日に達して前尾繁三郎を抜き歴代最長になり、令和2年9月には、通算在職日数が最長であったの田中角栄も超える可能性があります。
 
 二階俊博幹事長は和歌山3区選出選出で、昭和58年から現在まで連続して当選しています。
 
 この間、和歌山県の高速道路は、順調に伸びています。
 
---引用開始---
 
 紀伊半島を高速道路でつないで一周する近畿道紀勢線(大阪府松原市-三重県多気町、約340キロ)のうち、未着工だった国道42号・串本太地道路に国の予算が配分され、事業化されることが決定した。完成すれば和歌山市から新宮市までが高速道路で結ばれることになる。観光振興や災害時の復旧活動への活用が期待でき、県民の利便性も格段に向上することから建設は県の悲願でもあり、実現に道筋がついたことに関係者からは喜びの声が上がっている。
 
 県道路政策課などによると、串本太地道路は、串本町鬮野川(くじのかわ)と那智勝浦町八尺鏡野(やたがの)を結ぶ18・4キロ。県沿岸部は南海トラフ巨大地震による津波被害が想定されていることから、全区間が予測される津波の高さ以上の場所に建設される。道路は片側1車線で、1日あたり約9千台の利用が想定されている。
 
 総事業費は約900億円で、平成30年度には調査費や設計費として2億円を計上。開通時期は今のところ未定だが、道路が完成すれば、大阪市から新宮市までの所要時間が30分近くも短縮されることから、大阪方面からの観光客の増加も見込めそうだ。
 
 また、現状では串本町や太地町など4町の住民で、1時間以内に重篤な患者の治療や診察が可能な第3次救急医療施設の南和歌山医療センター(田辺市)に搬送できるのは3割程度だったが、串本太地道路の完成後は5割以上に増えるという。
 
 災害発生時には避難路や救援物資を被災地に送る輸送路としての役割も期待されることから、南海トラフ巨大地震の発生リスクを抱える県は、道路の早期着工を求め、仁坂吉伸知事を中心に国側に働きかけてきた。毎年の政府要望で仁坂知事が繰り返し、道路の必要性を説明したほか、県や関係市町の職員も奔走してきた。
 
 このため、県や関係市町では歓迎の声が相次いでおり、串本町役場では事業化を祝して垂れ幕や幟を設置。一方、仁坂知事は「さまざまな機会をとらえて早期整備を強く求めてきたが、取り組みが実を結んだ」とした上で、「尽力していただいた方々に心からお礼を申し上げたい」とコメントした。
 
---引用終了---
 
 もう、ここまでくれば、和歌山市から新宮市までの全線について、高速道路が完成することは確実になりました。
 
 ただ、道のりは平坦ではありませんでした。
 
 悪夢とも言われる民主党政権時代に、国の予算で事業化されていた近畿自動車道紀勢線の御坊-みなべ間(21・4キロ)と、みなべ・南紀田辺間(5・8キロ)の4車線化工事が「着手見合わせ」となり、凍結状態となりました。
 
 自由民主党が政権を奪還してから、和歌山県内の高速道路建設も再び始動し、それまで凍結状態だった2区間の工事が再開し、すさみ・串本間や、新宮北から三重県との県境に伸びる区間も事業化が決まりました。
 
 平成30年3月、最後の和歌山県新宮市内の区間で事業化が決まり、政権交代に揺れた高速道路網の整備計画は紀勢線の紀伊半島一周が確実になりました。
 
 これだけではなく、平成9年に全区間の事業化が決定していた京奈和自動車道(京都市を起点とし、奈良県を北から西に抜けて和歌山市に至る延長約120キロの高規格幹線道路)の和歌山県内区間も、平成29年3月に開通しました。
 
 第二阪和道路も和歌山市と泉南市と部分が平成29年4月に開通しています。
 
 やはり、有力な政治家がいるといないでは待遇が違います。
 
 特に、南海トラフ地震のことを考えると、従前の国道42号線だけではなく、もう1本、避難路救援物質搬入のための高速道路がほしいところですね。
 
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